2009年12月14日

神楽坂

今回は「懐の深い街」神楽坂を訪問しました。

毘沙門天善国寺を中心に江戸の粋を色濃く残す賑やかな繁華街、「神楽坂通り」は平日の昼間というのに多くの人々で賑わっていました。
その一方で、一歩路地を入ると隠れ家のようなレストランや料亭があり、非常に落ち着いた雰囲気でした。

そんな神楽坂もやはり時代の流れには逆らえず、徐々にチェーン店などが増えてきており、昔ながらの店は少なくなってきているようです。

そこで神楽坂に店を構えて60年になる陶器屋「太陽堂」のご主人に話を聞いてみました。

ご主人の話によると、当然だが街の雰囲気は変わってしまったようです。とくにバブル崩壊後にその傾向が顕著にみられるようになったようです。その原因はさまざまだが、後継者不足が一番大きな原因だそうです。そうして店じまいしたところにコンビニなどが入っていったそうです。

しかしそういった負の変化ばかりではないようです。フランス日仏学院などといったフランス関係機関がおおいため、フランス人が神楽坂近辺に住んでおり、フランス料理屋がふえているそうです。またイタリア料理屋などもあり国際的な面も見られるようになり新たな魅力になっているそうです。

このように昔ながらの伝統を守り続けるのは非常に難しく、どのように時代の流れを取り入れていくかが重要だと思いました。

ちょうど訪れた時「歳末レシート祭り」というのが行われていました。これは神楽坂通り商店街に加盟する店でもらったレシートの裏面に、氏名、住所を記載し、通りに設置されている抽選箱に投票し、当選すると商品券がもらえるというものである。

これには189もの店舗が参加しており、その中にはコンビニやファミリーレストランも含まれている。

西川口駅東口にある並木通りを訪れた際チェーン店は商店街の取り組みに非協力だという話を聞いたのだがこちらでは意思疎通ができているようである。

このように街全体が一体となって取り組むことがよりよい街づくりへの一歩だと考える。








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2009年12月11日

山谷・吉原

「バッキャロー」
20人ほどのホームレスと思しき人々が、アーケードの入り口付近で騒いでいた。
そうとう世の中、社会に不満があるらしく、仲間たちと酒を飲みながら(道端である)
激しく不満を言い合っていた。
 私が日本3大ドヤ街と称される山谷地区を訪問したのは10月15日であった。
南千住駅から歩くことおよそ5分、私のめに飛び込んできた光景は宿泊所と思われる
木造住宅がズラリと並んでいて、そこだけまるで時間が止まっているかのような
昭和の雰囲気だった。
それは簡易宿所といって、山谷地区の悲しい歴史とともに残ってきたという。
職を求めてきた人々がそこに泊まり、夜の寒さをしのぐのだ。年季が入り、
窓が閉まらないものもあり、とても住めるようなものではない。本当に「しのぐ」
ための宿泊所だ。しかし、そこに人が定住している悲しい事実がある。私は日本の
格差を目の当たりにした。
 山谷地区からさらに10分ほど歩くと、日本最大のソープランド街である吉原に
到着した。噂には聞いていたが、"ソープランドが街にあふれている"という表現
よりも"街にソープランドしかない"といったほうが的確かもしれない。
明らかに風俗店とわかる店の間に点在する一見ふつうのカフェでさえ、そこでは
違法な行為が行われているという。ただ、よくある繁華街の雰囲気ではなく、店や
客引きに威厳さえ感じさせるものもあった。さすが、歴史が古いだけある。
 山谷地区と吉原の関係は昔から密接であった。山谷地区には、吉原への車夫などの
日雇い労働者が集まっていた。いまもその関係が引き継がれている感じはあった。
しかし、山谷地区も"バックパッカーや外国人向けの安い宿がある街"へと変わって
いっているといわれている。いまはイメージチェンジのチャンスなのではないか。
行政はちゃんと動いているのか気になった。
 西川口もまちのイメージがいい方向へと変わっていって欲しい。我々はその変化を
見逃さず、しっかりとそのよいイメージを定着させなければならない。
posted by コ・ラボ西川口 at 23:25| Comment(2) | TrackBack(0) | まち歩き